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人生を選べない人の選択とは?

「人生を選択する」意味

 「人生を選べない人の選択」とは「他人をバカにすることである」。誰でも、重要な場面では「選択」を迫られる。選択はリスクを持っている。もしかしたら頼んだメニューがまずいかもしれない。でも上手くいけば最高の食事に出会えるかもしれない。選択は人生を左右する行為だ。インターネットが発達して、寝っ転がりながらスマホで注文した宅配や食事が届く時代になっても、自分のことは自分で決めているのだ。戦争の時代のように、強制的に選択させられる仕組みが存在したことを除けば、戦後は自分である程度の意思を持って生きていく事が可能になった。だが就活して希望通りの会社に入っても「レールに乗っかって生きるのは退屈だ」と思う人が多い。どうしてだろうか。

 

誰でも、10歳を超えたら受験、大学を出る頃には就職、キャリアを広げたくなったら転職。選択は自分にとって、人生の1つの大きな転換点になる。絶対に機会がやってくるもの。強制的に選ぶ場面が出てくる。だが「人生を選択する」ことは「可能性を広げる」ものだ。リスクなくして成功や上昇はありえない。

対人間関係や生活だと結婚、家族計画、住宅ローン。自分が、他人と人生を生きるための重要な選択。これは独身でいたかったら、しなくても良い。強制はされない。人生を悩み抜いた末に選択した、もしくは自分にとって良いと思って選択したから今を生きている人がほとんどだ。退屈に感じてしまう人の答えとしては、「安全な生活が続くと、ちょっと危険が欲しくなる」心境だと言える。常に人は忘れて、飽きて、次の興味を求める生き物なので、仕方ないとも言える。

 

身体を壊して分かったこと

 私は6年間会社員をやりながら、「まともに働く社会人」を目指して、重なる深夜残業と過労で2018年入って1月に身体を壊した。結果、社会人のレールから外れ、再就職も出来ず会社員を辞める選択をした。一度失敗すると転職や再就職などは、どんな受験よりも難しいと保証できる。30過ぎてまずブログ書いてお金を稼ぐことに挑戦すると決めて、書き続けた。他人から「結婚もしないで…」とバカにされたり、「良い店行くお金もないやつは付き合いたくない。」と相手にされなくなったりする事があって、今までの友人をほぼ無くした。私の周りから友人が1人もいなくなった。

だが、稼げないゼロ円の期間3ヶ月を含め、誰にも相談できない孤独、失敗から得た経験と勉強で、100円をブログで稼いだときの喜びは、今まで味わったことがない快感だった。具体的にはブログを書きまくってただけだが。

「自分の力だけで稼いだってこんなにすごいんだ…!」鳥肌と一緒に、頭を突き抜ける爽快感を今でも覚えている。だが1つでも稼ぐ事が出来なかったら今頃、寝る家も無くて雨に打たれて、風呂にも入れずホームレスをしていたかもしれない。だからレールにいる人は外れるべきじゃないし、自分から駅を降りようとは思わない方がいい。よっぽど辛かったら、そのときに一時停車してどうするか考える方がいい。「会社員で消耗している」といって会社員を小馬鹿にする人達は、働く大変さとお金を稼ぐ喜び、楽しさを知らないから、時間を持て余してそう言えるんじゃないかと考えている。

 

他人をバカにして飯を食う、批判チャレンジャー

一旦、苦労と孤独をこれでもってくらいに味わって分かった事がある。会社員時代にはまったく意識もしなかったが、「何も選択せず誰かの責任にして、顔を出さなくても良い場所から、自分が挑まずに失敗を恐れている」人がいる。この人を私は「批判チャレンジャー」と呼ぶ。炎上芸人といってもいい。

彼らは特定の誰かを叩いては、いつ自分が訴えられたり、逆に反撃されるかを試して自分の不満を抑えている人達だ。ギリギリ相手の怒るラインを見ては根も葉もない噂や言いがかりをつける。反撃されると尻尾を巻くか、思いっきり開き直って「自分は正しいから徹底的に戦う!」と言うのだ。本当に批判的に誰かに言及するなら、当人の何倍も苦労して、批判する事象について調べ上げて仮説・検証してから行うものだ。

 

「会社員がダメだ」「独立して仕事しろ」なんて言うつもりはない。ただ「自分で選びもせずに他人の事に言及する人」に1つ言いたい。「勝手に人の可能性やら語って、決めつけちゃおしまい」だと。批判なんて、今はSNSから匿名でしかも何も関係ないアカウントを作ればいくらだって攻撃が可能になっている。昔の匿名掲示板をもっと故意に、集中的にしたものだ。非常にタチが悪い。自分のために1円にもならないから止めるべきだ。

 

「バカにすることはムダだ」と早く気付いて自分のために時間を使うべきだ

自分で「人生を選択する」ことを自ら止めて、他人の生き様を批判してバカにする様は、批判している自分が見えていない場所から指さされてバカにされている事に気がつかないのだ。おそらく自分への視線を感じるようになったら、人様の批判なんて出来ないだろう。

人間は、年を重ねると「新しい事に挑戦して、すぐに順応する能力」は衰える。しかし最近では年を重ねても「知識はどんどん蓄積して能力を伸ばせる」ことがわかっている。だから年を重ねる経験をして行く内に、「他人をバカにすることは何も得られない」事に気付いて欲しい。時間を使って自分の能力を高める、世の中に価値を提供して役に立つ対価でお金を稼ぐ…発想に行き着いていけたら働く人の価値観ももっと、広がって尊敬しあえるのに、と思う。

結局、人が何かに夢中になっている時間はいつまでも自分の中に残っている。だから自分のためにならない他人のことばかり批判する行為や時間は、「無意味だった時間」として自分の中に残るだろう。誰かをおとしめて、自分がより幸せになるなどあり得ないのだ。自分の事は自分で管理して、時間とお金を使って知らないことを見聞きして、今までの常識を更新しながら、自分以外の個性や文化を徐々に受け入れていくのだ。

 

今年9月の大型台風のとき、高知の方で「復旧作業するヤツも企業もブラックだし、頭おかしい」なんてSNSで言う人の方がどう考えてもおかしいし、SNSで発言するためのインフラ使ってるのは誰かが作って維持しているから使えているって前提を忘れている。どこかに敵を作らないと、自分を正当化できない人間にだけは、どうかこれ以上増えて欲しくないと強く願っている。自分を鍛えようよ。弱いところがあったら晒して、悔しさバネにして直していこうよ。

 

おしまい